未来のことは不安で予測が困難―これはいつの時代も、そして情報過多の現代になっても変わりません。そうした中で大多数を占める一般国民がよりよい生活を安定しておくるためにはどうしたらよいのか、そうしたことを経済的な側面から発信してきたというのがこれまでの私の立場です。 経済問題として解決できることがある一方、経済の枠を超えて様々な専門知識を有して対応に当たらなければならない問題も多々あります。そうした取り組みを実現するためには特定分野の垣根を越えた専門家同士の交流や情報交換、問題の掘り下げが必要となるでしょう。また一般国民としても、分野を超えての俯瞰した考察や理解といった、敢えて造語を作るなら「クロス・リテラシー」が求められているはずです。 オイコスの会は、恐らく日本では初の試みであったのではないかと思いますが、哲学と経済の垣根を越えた融合からスタートしました。そして、これまでの活動の中で教育、憲法、医学、税制、裁判制度など様々な「クロス・リテラシー」を専門家を交えて、市民の皆さまとともに考えてきました。 これからも垣根を越えた、単なる知識の共有以上の何かを市民の皆さんとともに考え、歩んでいきたいと思います。オイコスの会は党派会派宗教を超えた、超党派の自由な人々の集う場所です。敷居は常に低く設定しており、どなたでもwelcomeです。 岩本沙弓 |
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プラトン(紀元前428-347)の対話篇『クリトン』に登場するソクラテスの言葉の一つに、「いちばん大事にしなければならないのは生きることではなく、よく生きることだ」というものがあります。「よく生きる」とは、一言でいえばおそらく、生き甲斐のある生き方をすることでしょう。しかしわれわれは皆、日々刻々老いていき、やがては死ぬプロセスの中にいます。この実存の条件の中で、ごまかしなしに生き甲斐を実感するのはそう簡単ではありません。 いま立論を省いてずばりいえば、他者たちと「共に生きる」ことなしに「よく生きる」ことはあり得ないだろうというのが私の考えです。なるほどわれわれは一人ひとり個体です。しかし、誕生の瞬間からして他者(母親)の関与を受け、その後も他者によって教育されます。愛憎も他者との関係です。死もまた、死ぬのが自分であれ他者であれ、他者との別れです。というわけで、「よく生きる」という課題は、共生をめぐる諸問題と一体だと思うのです。 さて、人間の共生には、家族や人類学的な社会文化から始まって、経済、政治、法、道徳&倫理、そして友情や愛に到るまで、さまざまな次元があります。このうち、われわれが市民(シチズン)として生きるのは経済、政治、法の次元でしょう。オイコスの会は市民の勉強会ですから、主としてその辺りの問題を学び、考えていきます。 この会は、経済・金融のエキスパートである岩本沙弓さんと、ささやかな知的形成を文学に負い、主に哲学的な思想に糧を求めてきた私が出会い、互いに領域横断した所に成立しました。事務局を担ってくれる友人たち、そして会に集ってくださる方々とともに、共生の諸問題を考えるこの会自体をも、自由闊達な交流と共生の場にしてゆきたいと念願しています。 堀 茂樹 |